意識高い系ではないけど
はまちゃんです。
さっそく、感じていること、書きますね。
今回は、最近よく聞く「意識高い系」について、自分の考えを語ります。
ウィキペディアでは、やや冷やかしの意味に使われたりもするようなことが書いてありますが(意識高い系 - Wikipedia)実際はどんなニュアンスで使われているんでしょう。
普段、仕事とは別の場面で、よく大学生と関わります。それこそ社会貢献活動やボランティアなんかで。もしくは、ありがたいことに大学で授業やらせてもらったりもします
。
この言葉の捉え方は人それぞれだけど、僕の体感では、大学生なんかには一つの線引きに使われている気がするのです。
「あいつ意識高い系だよな(自分とは違うなー。えらいなー。自分にはあんなふうにできなわー。)」
そうやって、ボランティアや社会貢献活動に突き進む人と自分を分けてしまう感覚。これは、やりたいことがあってもなかなか踏み出せない学生に多くみられる気がします。
でも、そうやって線引きする学生ほど「やってみたい」と思ってたりする人も多いんです。でも行動には勇気が出ない。怖い。人見知りだし、、、、。
僕の体感なので何の確証もないのですが、この「意識高い系」という言葉が表すイメージと、そうじゃない人の間の差が広いな、と。でも実際には、その間の存在が重要な気がしているのです。
やりたいことをいろいろチャレンジする男の子がいたとします。その人が、例えば震災のニュースを見て、その支援活動に興味を持った。活動に参加してみた。
すると、同級生は彼を「意識高い系」と見るのだと思います。
一方で、同じニュースを見ても何も関心を持たない人もいるかもしれません。
そこに、良いも悪いもなくて、ただそれぞれの価値観です。
ただ、実際にはその二つの存在の間の層が現代の若者は一番多い気がします。
関心はある。やってみたいと思う。でも、なかなか踏み出せない。そんな人たち。
この、関心はあるけど行動まではなかなかできない段階って、すごく重要な気がするんです。だってどんなことも関心を持たないと何も始まらないし、広がらないから。
「関心を持つ」それだけで広がるものが確実にあって。そこの段階を表現する言葉があったらいいなーと。
だから、ざっくりですが
意識高い系まで行かないけど、関心はあるよ。
そんな人たちを表す言葉が世に浸透してほしいなーといつも思うのです。
そう。名付けて、、、、、「関心ある系」 笑
浸透する云々は別にして、いろんな大学生と関わらせてもらっている中で最近感じたことでした。
余談。
意識高い系を二郎系ラーメンに例えて、興味ない人をあっさりラーメンに例えて、間のちょうどいいラーメンが食べたい的な話をしようかとも思ったんです。
でも、他の3人にまたラーメンかよ的なこと言われるだろうし、何より分かりにくいんでやめました笑
ちなみに、関心ある系をラーメンで例えるなら、、、、家系かなあ。でもそうすると味噌と塩のポジションが難しくなるなあ。ラーメンは奥が深いからなあ。
ラーメン食べたくなってきたなあ。。。。